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日本の医療の歴史

度新しい紙幣の肖像に採用される北里柴三郎の業績について、以前このブログで紹介しました。本当は第一回目のノーベル医学賞を授かるはずであったのに、柴三郎の論文を焼き直しただけの欧州の医学者が彼の代わりに受賞しました。日本が明治時代であったその当時、人種差別から白人を差し置いて有色人種にノーベル賞を与えるわけにはいかなかったのでしょう。免疫療法を確立したのも北里であるし、また中世以降ヨーロッパで猛威をふるった黒死病(ペスト)の病原菌を見つけ、実際にペスト禍を終わらせたのも北里です。特にペストはそのころ上海で流行していて、北里が上海に渡ってほんの2~3ヶ月でペスト菌をみつけています。免疫療法の確立もペスト菌の発見も名誉は欧米人が横取りしています。というのも彼が優秀であった証拠に、ドイツで細菌学の権威コッホの下で研鑽していた柴三郎に、英国からケンブリッチ大学が新しく創設する細菌研究所の所長にと求めら、米国からは今のレートに換算すると、100億円くらいの研究費と億単位の給料で招聘されていました。北里はこれらの破格の待遇を断って、祖国日本に貢献することを選択し帰国します。

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江戸時代に生まれた柴三郎が、どうしてノーベル賞を受けるくらい世界でも指折りの優秀な医者に育ったのか、その理由を今回はみなさんに知ってほしいと思います。江戸時代すでに日本人の識字率は世界でダントツで一番であったことを皆さんは知っていますか。寺子屋は江戸や上方の都市だけでなく、地方にもそれぞれの藩が藩校を開き、その下に農民や町民の通う寺子屋が全国に隅々にまで普及していました。明治維新以降すぐに小学校が全国に普及したのはこのおかげです。また各地の藩校は中学校や大学になったのです。日本人であるあなた達が授かる教育は、このような歴的伝統のおかげなのです。

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そこでどうして北里柴三郎のような優秀な人物が育ったのかということですが、このようなすぐれた教育システムがすでに江戸時代に機能していたことが大前提です。そして江戸時代の日本の医学ですが、日本はこの江戸期の医学も当時世界で最も進んでいる国の一つだったのです。というのは、いわゆるワクチンを初めて作ったのは江戸時代の日本人で、また初めて麻酔をもちいて外科手術をしたのも日本人なのです。詳しいことは次のブログで書きますが、なるほどこれだけの土壌があるなら北里のような人物が現れても納得がいきます。

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ここでみなさんにしっかり認識してほしいことがもう一つあります。当時の日本医学は世界で指折りであったということですが、それはいわゆる漢方ではないかと思われていやしないかということです。漢方と名付けられたのは、幕末にオランダなど欧州から西洋医学が入ってきた時、それと区別するために便宜上漢方と名付けたのであって、決してそれが漢(中国)の医学ではないということです。漢方というのは日本固有の医学で、西洋医学が流入する以前には漢方と言う言葉はなかったのです。

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医療関係に進学を希望されている受験生の方もおられると推察します。あなた達を含め受験生のみなさん、日本の医療が優れているのは、このような偉大な先人におかげだということもしっかり受け止めていてください

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