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日本の武術はミラクル 2

日本の武道はミラクル1で僕の空手のことから、日本の武道のミラクル的な強さをお伝えしましたが、今回は剣術の武道としてのミラクルさをお伝えします。

みなさんは国井善弥という人の名前を聞いたことがあるでしょうかとりわけ剣道経験者にこの人の名前を知っているか聞いてみたのですが、おそらく知っている人はほどんどいないと思います。日本は柔道、剣道、空手、などのすべての武道を禁じられた時期がありました。大東亜戦争(第2次世界大戦)の敗戦直後米国GHQによってすべての武道が禁じられたのです。そこで剣道を復活させたいという運動がありました。当時の国会議員の笹森順造という人が、GHQにかけあって剣道を復活させたのです。少しでも剣道に携わったことのある人なら笹森順造氏の恩を忘れてはなりません。
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そのころ禁じられた剣道はフェンシングの防具を使ってごまかし、気合を入れ声を上げればGHQに気づかれるため無言で稽古していたそうです。涙虚しい努力です。
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笹森議員は、青森県弘前藩士の出のキリスト教徒で、青学の学長も勤めた人です。戦後の片山内閣では、復員庁総裁、賠償庁長官などを歴任し、ソ連抑留者の早期返還に努力しています。そして彼自身、小野派一刀流剣術宗家の剣の使い手です。
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「剣道は人を殺傷するもので、危険なものである。」というGHQの言い分に対して、笹森議員は「剣道は人を殺めるものではなく、僅かなダメージで相手にその否を悟らせるものだ。」
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と答えました。そこでならば証明してみろということになり、米軍の銃剣術の達人と一戦交えることになりました。
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銃剣術とは鉄砲(小銃)の先に小刀を挿して敵を殺傷するものです。突撃など火気が直接使えない白兵戦のときなどに重要な武器になります。当時は世界のどの陸軍も銃剣術の稽古は必修科目でした。そこで米軍の銃剣術のチャンピオンと対戦して証明することになったのです。ただし条件があります。対戦して日本方が殺されてもお咎めなし、だがしかし米軍方は傷つけてはならない、少しのダメージで日本方は勝つことを証明しなければならないということでした。これに失敗すれば日本の武道とりわけ剣道の復活はありません。だれが対戦相手をつとめるかその人選は難航すると思われましたが、すぐに決まりました。選ばれたのは国井善弥です。身長160センチ代の中肉中背の中年男子です。国井先生は、日本の武道はミラクルの1でお伝えした、私の空手の師匠(I氏とこれからは著します)と同じようなミラクルな武道的強さを持っている人なのです。
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米軍側は2メートル近くの巨人が本物の鋭利な刀をつけた銃剣もって対峙する。かたや日本側はふにゃふにゃの竹刀を持った160センチ代の中年の男性。米軍の兵士が余裕で勝つことは誰の目にも明らかでした。日本の武道の復活がかかった一戦が日本人米軍の両方の多くの人が見守るなかで始まりました。その結果はどうだったでしょうか。  続きは次回です。
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