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叔父の戦場での勉強  4

引き続き第二次世界大戦に従軍した叔父の話です。第二次大戦のことを普通太平洋戦争と言います。教科書にもそう書いてあります。しかし太平洋戦争というのは正式な名称ではありません。大東亜戦争というのが正式な名称です。太平洋戦争というのは戦後米軍(GHQ)がつけた名前です。日米戦争は太平洋を中心に戦われましたが、先の大戦は中国大陸も含め東アジア全域で戦われました。なので大東亜戦争というのが正式です。この呼称は戦争が始まる前に日本が閣議決定までして決めた呼称です。太平洋戦争という名前を日本がGHQの占領から独立したあとも使われているというのは、それだけまだ日本は本来の姿に戻っていないということです。

話を元に戻します。叔父が部下をどよように育てたかひとつのエピソードをお話します。各中隊には狙撃兵が何人かいます。狙撃兵というのは、直接敵を狙い打つ任務を受け持つ兵士のことです。当然鉄砲を撃つ能力の優れた人がこの任務にあたります。遠くからでも狙いをはずさない人を選びます。叔父の部隊には特別腕の立つ優秀な狙撃j兵がいました。連隊で狙撃大会があればいつも上位を占める狙撃兵が叔父の部隊に何人もいたそうです。最初から優秀な狙撃兵がいたのではありません。叔父が優秀な狙撃兵を育たてのです。

その育て方なのですが、たとえはじめて銃を撃つ人でも、10メートルの距離で標的をはずす人ははいません。銃と言っても拳銃ではなく銃身の長い鉄砲のことです。その次に15メートルではずす人もほとんどいません。そういうふうにして的を少しずつ遠ざけていきます。そうするとい距離を大きく離しても的をはずさないようになるそうです。この指導の何が肝心かというと、絶対完全にできることを繰り返し訓練させて、自信をつけさせることなのです。兵士は銃を撃つなどということは軍隊に入ったばかりの初年兵にとっては初めても体験です。その新人にだれでもできるレベルであっても、まだどのレベルから優秀なのかよくわからないうちに、新人が的に当てるとほめまくるのです。そうするとプラスのアドレナリンが放出され、狙撃訓練がたのしくてしょうがなくなり、腕がよくなるのです。

叔父は戦後息子が高校生のときその高校の剣道部の顧問をしていまました。無名の剣道部を3年の間にインターハに出場させ、その息子(私から言えばいとこ)は、最優秀選手に選ばれ特別賞として木刀を賜りました。そのときの叔父の指導法も、最初簡単にできることを繰り返しさせて自信をつけさせて育てるという方法でした。他校との交流試合では最初から絶対勝てる相手としか試合をさせませんでした。他校の剣道部との交流試合には絶対に勝てる相手を次々選んだのです。そうすると叔父が顧問をつとめる剣道部の部員は、自信がついてきて今度いつ練習試合をするのか?早くしたいと、いてもたってもいられなくなり、気持ちが高ぶって自主的に喜んで練習するようになったのです。練習も試合もプラスのアドレナリン全開なのでおのずと結果がついてきます。

勉強もそうです。できそうにない難しい問題ばかり取り組んでいるとモチベーションが下がってきて、本来持っている力も出なくなってきます。あまり難しくない問題をたくさん解くことは大事です。なにごとにおいても基礎が重要ですが、基礎を実力として定着させるには、なにも考えずに自動的に反応するようにならないといけません。それにはそう難しくない問題を繰り返し解くことです。それを自動的にしかもすぐに解答が浮かぶようになるまで続けなければなりません。受験生のみなさんも無理をして難しい教材に取り組むのもときには必要ですが、基礎的な教材を繰り返し復習することによって、完全にマスターしてしまうことはもっと重要です。

 

 

 

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