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叔父の戦場での勉強 2

前回からの続きですが、数年前に他界した私の叔父は第二次世界大戦に陸軍将校として従軍しました。終戦時は陸軍大尉でした。少尉、中尉、大尉、とそれ以上の位を将校と言います。下士官とも言うこの位からは幹部になります。戦前の帝国陸海軍では、将校以上の位になるには士官学校卒業しなければならず、普通大学卒業後に士官学校に進学しました。戦前の大学進学率が1パーセントくらいであったことを考慮すると、かなり狭き門であったでしょう。その他旧制高校や専門学校ら高等教育の卒業生を加えると10パーセントくらいになりますが、それらの人も幹部候補生として受験したようです。叔父は旧制高校から直接幹部候補生となり、幹部養成機関を卒業するとすぐに部下が40人ほどいる部隊の隊長になりました。旧制高校からの直接幹部候補生となるな試験に合格するのも難しく、叔父は座学だけでなく身体能力も優れていたようです。とくに剣道が強かったらしいです。

士官学校を卒業すると、まだ二十歳そこそこの若者がいきなり40人ほどの部下を統率しなければなりません。ほとんどが自分より年上だろうし、軍隊生活の長い兵士も、すでに実戦経験のある兵士もいます。中には刺青のあるやくざ(八九三)もいたそうです。そういう兵士はこんな若造の隊長に従うことができるかという、でかい態度をとります。なめているのです。叔父はそのような横柄な態度の部下をどう統率していったのでしょうか。やくざなどは暴力に強い、腕っ節がたつというのが自慢です。そこをへし折ると途端におとなしくなるそうで、頭の中の理屈で反抗している部下よりむしろ御しやすいらしいです。叔父はやくざあがりの兵士を道場に連れて行き、防具をつけさせ銃剣術でこてんぱんにやっつけたそうです。銃剣というのは鉄砲の崎につける40センチくらいの剣で、敵と隣接すると最後はこれでやりあいます。その訓練をするのが銃剣術の訓練です。やくざも叔父に銃剣術で突き飛ばされると途端におとなしくなり従順になったそうです。またそういう部下の方が戦場では役に立ったそうです。叔父が元々剣道が強かったからできたことでしょう。

受験勉強も不得意科目には何かネックになる苦手なパーツがあります。それが顕在している場合もあるし、見えなくて潜在している場合もあります。たとえば英語なら語彙力が足りないとか、文の構造の理解が足りないという具合です。そこを克服すれば一気に偏差値が上がります。なのでよく自分の実力の分析をして、対策を立てて勉強を進めていってください。これが勉強の戦略です。

 

 

 

 

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