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叔父の戦場での勉強 1

私の叔父(父親の兄)はもう他界しましたが、大正生まれで第二次大戦に従軍している世代です。その叔父は数々の戦闘を勝ち抜いてきた歴戦の勇士です。叔父の鼻が大きいことからか、敵からピータンというあだ名で呼ばれ、大変恐れられていたそうです。戦闘が強かっただけでなく、優秀な部下を育てることにもまた優れていたようです。私が子供だったころ、叔父からその戦争の話しを聞くのが楽しみで、父が群馬に帰省するときにいつも私もついて行って、興味津々で叔父から戦争の話を聞いていました。

終戦時には叔父は陸軍大尉までになりましたが、当時陸軍士官学校を卒業すれば陸軍少尉となり、まだ20代そこその若さですぐに40人ほどいる部隊の隊長に就任します。叔父は中国戦線で活躍しましたが、部下には叔父よりはるかに年長で、軍隊で長い間飯を食ってきた部下も多くいます。そういった中で部下からの信頼を得るには、実戦において戦果を上げるのはもちろんのことですが、そのために部隊そのものを強くしておかなければなりません。それには優秀な部下を育てる必要があります。

叔父は群馬県人ですが、部下は栃木の部隊でした。日本の陸軍では出身地ごとに部隊を形成していました。余談ですが大東亜戦争(第二次大戦)で沖縄を守備していたのは北海道の部隊が多かったようです。決して軍部は沖縄を見捨てたのではありません。特攻機もたくさん沖縄に飛んで行きました。戦時中は戦地と言っても、普段はただ軍隊が駐屯しているだけで、いわゆる戦闘というのはほとんどありません。いざ敵が攻めてくるか、こちらが戦闘地域に赴くことによって、初めて戦闘になります。普段の駐屯地では訓練と日常があるだけです。なので故郷の地域ごとに部隊が形成されるのです。ただ隊長はいざというときに非情な指示を下さねばなりません。そのため私情が妨げにならないように、その部隊と関係のない地方の人を隊長として選びます。

私のように勉強を指導する立場の人も、生徒と仲良くなるのも大事ですが、あまり距離が近くなりすぎて厳しいことを言えないようでは困ります。生徒との信頼関係は大事ですが、それは友達のような関係になって、先生と生徒という立場を踏み外してはいけません。信頼関係は成績を上げてこそ醸成できるのです。叔父の部隊がなぜ北支で最強と言われていたのか、戦場での叔父の指示決断もさることながら、それまでどのように部下を育て、また部下との信頼関係をどのように築いてきたか、それらは大変受験勉強とも関係があります。なのでこれから何回かに渡って記事にしていきます。叔父の実戦の話も交えお話していきますので楽しみにしていてください。

 

 

 

 

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