・ペリリュー島の戦い ペリリュー島には中川大佐以下1万名以上の日本軍の守備隊がいました。米軍は3日で占領を終える予定でしたが、40日以上かかりました。米軍は圧倒的な物量で責めたにもかかわらず、大きな犠牲者を出しました。日本軍は玉砕です。玉砕とは全滅です。約40人奇跡的に生き残った人を除いて、全員戦死しました。
・新たな祝日 パラオの人たちは戦争が終わって、ペリリュー島に上陸できるようになると、真っ先に戦死された日本兵の遺体を手厚く葬ってくれました。今回両陛下が島を慰霊に訪問されましたが、その日は今上天皇の御訪問を記念して、新たにペリリュー州の祝日になりました。
・両陛下の願い このようにパラオと日本の間には、簡単には言い尽くせない物語があるのです。今上天皇陛下は足も曲げられないくらいお膝を痛めておられます。皇后陛下は頚椎症を患っておられます。でも両陛下はパラオ御訪問をずっと望んでおられました。ご高齢の両陛下にとっては決して楽な旅ではないと思います。でも今回のご訪問が、どれだけ玉砕された日本兵の慰霊になったことか、またパラオの人々がどれだけ両陛下を歓待したことか、想像できると思います。
・洗脳成功せず 戦後パラオはアメリカの統治下になりましたが、アメリカは日本軍はパラオの人々を虐殺した、日本軍は残酷だと、義務教育の教科書を使ってまで洗脳しようとしました。しかしパラオの人たちは誰一人信用しませんでした。アメリカの洗脳は失敗しました。