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天皇陛下のパラオ行幸 3

030・戦時下のパラオペリリュー島  第二次世界大戦がはじまり、初戦は調子良かった日本も、後半から負けてきました。パラオ共和国にはペリリューという島があり、そこには日本軍の飛行場がありました。そこは戦略上の拠点でした。なので米軍がその島を占領に来ることがわかっていたので、日本軍は急いで陣地を構築していました。陣地構築には現地のパラオ人も協力してくれました。

いよいよ米軍が攻めてくることになって、陣地構築に協力してくれたパラオの人たちに島から立ち退いてもらおうとしていたら、パラオの人たちは、「自分たちも日本軍といっしょに戦いたい」 と言い出だしました。ペリリュー島のパラオの人たちがみんなで話し合って出した結論です。その旨を伝えるために代表者が、当時のペリリュー島守備隊のリーダー、中川大佐に会いに行きました。すると中川大佐はしばらく間を置いたあと、「我々帝国軍人がおまえらのような土人と一緒に戦えるか」、と一喝したそうです。パラオの人たちは、「日本人は友達だと思っていたのに嘘だったのか、裏切られた」 と思って涙を流して悔しがったそうです。

ペリリュー島を離れるための船が来て、パラオの人たちが乗船しても、誰一人日本人が見送りに来ませんでした。あんなに仲良く一緒に仕事をしたのにと、裏切られた気持ちでいっぱいだったそうです。いよいよ出帆の時が来ても日本人は誰一人現れません。ところが船が岸から離れた瞬間に、森の中に隠れていた日本軍人が全員飛び出して来ました。そして一緒に作業しながら歌った歌を歌い、ちぎれんばかりに手を振って、別れを惜しみました。その時初めてパラオの人たちは、「私たちパラオ人を犠牲にしないために、あんなひどいことを言ったのだ」 ということがわかったのです。

 

 

 

 

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