今回は、ちょっと日本が元気になる話です。日本の源氏物語に相当する古典文学は世界には存在しないということを、以前このコーナーでお話しました。源氏物語は日本の古典文学です。私達は義務教育でも、高校教育でも、源氏物語を学校の授業で習います。現代語と意味の異なる単語や文法があり、読解には骨が折れますが、読んで理解できないことはありません。古文と言えども同じ日本語なのです。
ところがこれに相当する文学が西洋にありません。イギリスせよフランスにせよ、11世紀ごろには国民文学と言えるようなものがありません。せいぜいいくつかの叙事詩が残っているだけです。
ではギリシャやローマがどうだったのかと言えば、ギリシャやローマは西洋にとっては古典ですが、イギリス人やフランス人など、今の西洋人とは直接なんの関係もありません。ギリシャやローマの人々は全く別の人種です。もちろん言語も違います。ギリシャローマの古典は、日本における漢文(孔子や論語)に相当するもです。孔子や論語は日本人の祖先が作り出したものではないのと同じです。だったら孔子や論語がどうなのかと言えば、論語を書いた孔子も、今いる中国人とは全く別の人種が作ったものです。なので論語や孔子も中国人にとっては、日本の源氏物語のような古典とはちがったものなのです。
前置きが長くなりましたが、ゆえに、我々日本人は誇るべき文学史を持っている。またそれはすばらしい精神史をもっているということにつながっていくのです。(つづく)