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小論文 医療系 尊厳死 2

item20130922002s前項の論文はの著者は、文中にあるうように、「つい最近、親を亡くし」 たそうです。そのためか、少しでも我が親には長生きしてほしかったという思いが、ひしひしと伝わってきます。だから尊厳死に慎重な立場をとっているというのも考えられます。

私も高齢の父親の介護のため、毎週末ごとに実家の大阪に帰って、姉と介護を交代します。気持ちはこのブログ主と同じで、わが親にはたとえ一日でも長生きしてほしいと願っています。

さて小論文ですが、尊厳死容認の立場からのほうが、論文が書きやすいと思いますが、慎重論のほうが評価が高いと思います。たぶん容認派の立場からの論文の方が圧倒的に多いと予想されるからです。

欧米、特にアメリカは、日本に比べずっと個人主義です。自分のことは自分で決めるという文化的背景があります。なので自分の命の終わりも自分で決めるというのが成り立つかもしれません。しかし日本人は、家族や親戚、友人などの関係性が強く、その共同体の意向が個人の生き方に大きく影響します。

この論文にあるように、ただでさえ肩身が狭くなってきている老人に尊厳死を認めると、悪用されかねないと危惧しているのです。父が入所している介護施設には、多くの老人が入所されていますが、家族もあまり会いに来ない人がほとんどです。家族も忙しいのでしょう。私たちは家族は恵まれているのだとは思いますが、それにしても老人が厄介者扱いにされているのは間違いないでしょう。それゆえ余計に、尊厳死の悪用が危惧されるのです。

尊厳死を全否定するのではなく、私もあくまで慎重論です。しかし過度の延命治療をすることについては、私も反対です。

胃ろうという治療があります。本人の食べる力がなくなったとき、胃に直接穴っを空けて食べ物を入れる治療です。父が入っている介護施設には、ベットに寝たままで胃ろうしている老人が何人かいますが、苦しそうです。老人になって自分の力で食べられなくなれば、それは人という生物が死を迎えたことだと私は思います。その方が安らかに死を迎えられると思います。なので私の父には胃ろうはしないようにと、お願いしています。幸い今父はよく食べているので安心しています。
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