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小論文 医療系 尊厳死 1

item20131008003sつい先日、アメリカのオレゴン州で、脳腫瘍による余命3ヶ月を宣告されて、尊厳死を選択した女性がいましたが、その尊厳死反対の立場からの小論文です。

最初に、  http://blog.goo.ne.jp/ikeiketarou  2014年、11月4日の記事からのコピーです。

尊厳死を認めてしまえば、それは際限なく適用されるのではないか。死は誰もが迎えるものであるとしても、意識がある限りは、生をまっとうすべきでは ないだろうか。アメリカのオレゴン州で、29歳の女性が尊厳死を選択した。もはや自分であり続けられないのに悲観して、自ら選択をしたのである。

しかし、 それは日本では容認すべきではない。そうでなくても、高齢化が進行して、年寄りの肩身が狭くなってきている。生きること自体が難しくなってきているのだ。 健康で元気な者でなくても、生きる権利があり、誤った方向に誘導されるのを恐れてしまう。

つい最近、親を亡くして痛感したが、子供にとっては、生きていて くれるだけでいいのである。病と闘っている姿が尊いのである。余命何カ月という言葉は、死刑宣告を受けたのと同じだ。奇跡や希望を持つことが、どうして許 されないのだろう。

日本人は共同体のなかで暮らし、それは過去から未来へと受け継がれていく命の流れである。そこで生き、そこで死んでいくのである。分断 された個として、終焉を迎えるのではない。今の日本では152万人がガン患者だといわれている。百人未満に一人の割合なのである。医学の進歩による救済が 待たれると同時に、その人たちの希望の灯を絶やしてはならない。安易な安楽死の選択は、その希望を奪うことになりかねない。

子供や孫のために、必死に踏ん 張っている人たちを、見放してはならない。奇跡がありうることも忘れてはならない。あくまでも命はミステリアスなわけだから。

 

 

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