春の花で彩られた皇居
単純なことです。物の量に比べ、通貨の量が少なければデフレになるわけです。通貨の量とは、労働者の給料や企業が儲けたお金のことですね。ではその給料はどこから来るのでしょう。その給料も労働の対価として支払われたものです。労働の対価ということは、何か物を売ったり、サービスを提供したりして、それを購入した人からお金をいただくのです。企業も同じですね。だったらその支払われるお金はどこからくるのでしょう。それも、その人や企業がもたらした価値の対価として、受け取ったお金です。
このようにして、だれかの消費は、だれかの所得になっていくのです。支払ったお金がなくなってしまうというこはありません。ただ移動するだけです。だからお金を使うということは、だれかに所得を与えていることになります。いいことをしているのですね。お金を寄付しても、与えていることには変わりがありませんが、お金を使う人(消費者)が物やサービスを得ていたほうが、お金を受け取る側にとっては、何もせずにお金を受け取るのとちがい、人の役にたっているという感覚があります。そういう何かの役にたっているという意識は、大変大事なことです。本来の意味での労働の価値とはこんなところにあります。
話をもどしますが、だったらもともとのお金はどこから来るのでしょう。それは政府や日銀から来るのです。政府がお金を使うと通貨が供給されるのです。その中で大きな部分を占めるものは、公共事業です。政経の教科書では、国民から集めたお金(税金)で、公共事業が行われると書いてあります。もちろん税金で公共事業が行われるのですが、そのお金だけでは公共事業を満たすことはできません。なので国債を発行します。政府が借金をするのです。日本ではその政府の借金は、おもに日本国民が貸します。日本の金融機関(銀行など)が貸します。これを国債を買うと言います。金融機関が国民から預かったお金で、政府にお金を貸しているのです。国民が銀行を通じて政府にお金を貸していることになります。
ちょっと説明が複雑になったので、もう一度簡単に言いますと、公共事業は、税金と国民から借りたお金で行われるということです。