硫黄島は日本本土とサイパン島の、ちょうど中間にあります。アメリカが硫黄島を落としたかったのは、サイパンから日本本土を空襲するために、中継地点として、硫黄島がちょうど良かったからです。硫黄島は硫黄の島で、地下水も出ませんでした。しかし起伏が少なく平坦な島であったため、飛行場にするには好都合な島でした。そのころの日本軍も、そのことの重要性はよく認識していて、硫黄島を死守する方針でした。
私の父も八丈島に赴任した時は、生きて帰るとは思っていないかったそうですが、硫黄島の守備隊も、そうだったでしょう。だから最期ぐらいは楽に死ねるように、万歳突撃をさせくれと、守備隊の司令官であった、栗林中将に許可を求めていました。しかし栗林中将は許可しませんでした。「米軍は硫黄島に飛行場を作り、本土を爆撃するつもりだ、日本本土にはあなたたちの親や妻や子供がいるだろう、空襲でその家族を虐殺するためにこの島を落とそうとしている、だからその日本にいる家族を守るために、一日でも我々はがんばらなければならない。最期の一兵まで死ぬまで戦いぬけ」、と命じました。そのため、米軍が3日で落とす予定だったのですが、1か月以上かかりました。その間にたくさんの本土の日本人が、田舎に疎開しました。たくさんの日本人の命が救われたのです。
硫黄島では米軍は、圧倒的な物量、武力、兵器でもって戦ったにもかかわらず、アメリカ側の人的被害の方が大きかったのです。そのことで、米軍はとてもこのような戦いをこれからも続けることがはきない。特攻隊も含めて、こんな命知らずの日本兵と戦争を継続することは不可能だと判断して、本土決戦をあきらめました。本土決戦とは、日本が最後まで降伏せず、最後は米軍が日本本土に上陸して、東京や大阪など日本全土が、沖縄戦のように戦場となることです。本土決戦になれば、米軍の被害を含めて、日本軍はもちろんのこと、一般の日本の民間人にどれだけの被害があったか、想像するだけで恐ろしいです。そうなれば日本と言う国が解体していたかもしれません。