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ちょっと日本史  (受験勉強が楽しくなる)

item20131106001s日本史を受験で選択されない方でも、織田信長のことは知っているでしょう。戦国時代にあらわれた、天才的武将です。幼少のころから、その常識はずれな行動で、周囲からはうつけ者と言われていましたが、家督をついでからは、そのなみはずれた行動力と知性で、不利な戦いでも次々に勝って、天下を統一していきました。しかし最後は家臣の光秀に殺され、49歳の若さで亡くなりました。

信長は、秀吉、家康と天下を統一して、戦国の世を終わらせ、日本に平和と安定をもたらした、その端緒を開いた武将です。鉄砲の積極的な運用や、楽市楽座(今で言えば、自由主義経済)など、その合理主義による改革で、歴史を導いていきました。またその合理的精神から、比叡山の焼き打ちなど、後世では少し残酷と思われることもやってのけました。寺を破壊して、神や仏に仕える者を殺すなどと言うことは、21世紀のこの科学技術の時代でも、祟りがあるのではないかと、恐ろしくてなかなかできないものだと思います。

だいたい歴史の授業では、このようなことを習うのではないでしょうか。しかし世界史的な視野にたてば、信長の功績はもっと大きなものです。それを一言で言うと、最小の犠牲で中世を終わらせて、近世や近代を引き寄せたことです。ヨーロッパでは、中世から、近世、近代に移行するのに、多くの犠牲を払わねばなりませんでした。

比叡山焼き打ちは、僧兵や僧侶のみならず、延暦寺にいた婦女子まで皆殺しにしたそうです。信長は日本史上最悪の虐殺をしてきましたが、このような厳しさのおかげで、宗教勢力が世俗権力に介入できなくなりました。日本では、信長の活躍のおかげで、宗教勢力による世俗権力への介入を、短期間に、しかも結果的には少ない犠牲で終わらせることができたのです。一方ヨーロッパでは、中世から近世を経て、近代へ移行するためには、よりたくさんの犠牲が必要でした。日本と比較にならないくらい、多くの人命が失われています。結果的に日本は、最少の犠牲で、歴史を前に進めたことになります。それは信長と言う稀有の天才的武将がいたことが一つの大きな要因だったのです。たとえばヨーロッパでは、17世紀に、最後の宗教戦争と言われる、世俗権力とキリスト教が複雑絡み合った戦争、いわゆる30年戦争がありましたが、その戦争でドイツの人口が3分の1になってしまいました。平和な日本では、信じられないくらい悲惨な戦争です。ヨーロッパ人は、そういった大きな犠牲を払って、始めて宗教と世俗権力が分離していったのです。

信長の、歴史的評価を世界史的に観れば、こんなところです。いかかでしたか、少しでも興味が持てましたか。しばらく間をおいて、今度は秀吉についてコメントしてみたいと思います。

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